「1枚のお皿から広がる食卓②~古伊万里 染付~」
日本を代表する焼き物のひとつ伊万里焼きは今から400年程前、1610年代に始まるといわれています。
豊臣秀吉による朝鮮出兵の折り、肥前国の領主で後の佐賀藩祖、鍋島直茂は自国の窯業技術を高めるために朝鮮半島からやきものの職人達を連れ帰りました。やがて磁器を作るために適した土、磁石を朝鮮人陶工の李参平が有田の泉山で発見したことにより、日本最初の磁器の生産が始まります。
伊万里焼きのうち、江戸時代に焼かれたものを「古伊万里」と呼びます。その中で白地に青一色でモチーフが描かれた器「染付」は古伊万里の中で最も古い歴史があります。
1640年代に入り、明から清への王朝交代に伴う中国の内乱で中国磁器の国外輸出が途絶えたことにより、伊万里焼の需要が一気に高まり、ヨーロッパやアジアに輸出され世界に広くその名が知られるようになりました。
展示用のテーブルは染付の皿を中心に、星空を思わせる濃紺のガラスの酒器、深川製磁の笹舟を模した
器やガラスの小鉢など配し、フランス製のテーブルクロスでモダンな要素も加味した七夕の夕べを表現
しました。笹の代わりにオジギソウに小さな和紙の短冊を飾っています。
テーブルの中央にあるのが藍柿右衛門の皿で、ヨーロッパからの里帰り品の1枚です。中央に岩にたた
ずむ2羽の鳳凰文を描き、その脇には牡丹花と菊花文、周縁部は 小鳥と柘榴文が描かれています。
「シノワズリ」と云われる17世紀後半から19世紀初頭にかけて流行したヨーロッパ美術の中国趣味を裏
付けるように、当時の王侯貴族にも大変人気の高かった皿で、中国磁器の代替品として日本から沢山輸
出されたようです。
藍柿右衛門 鳳凰・花・柘榴文7寸皿
(延宝~元禄1670~90年)頃
2024年7月のメニュー
茄子の利休煮
鶏ササミ、チーズと梅と紫蘇の三角春巻き
一口彩り素麺
夏の簡単ちらし寿司
塩鮭、沢庵、柴漬けなどを刻んで
レアチーズケーキ
すっきりとした夏のテーブル